ツェッペリンの遺伝子


一月も書いていなかったら、ログインパスワードを忘れてしまいました。それに、更新しないと誰も見に来てくれないものですね(あたりまえ)。


今月はイライラするほど忙しかったです。そんな時、自分だけの避難所に逃げ込むようになりました。大人になるってステキだなあ。


溜池にある、キャピタル東急ホテルのガーデンカフェは、そんな場所のひとつです。コーヒー一杯は高いのですが、おいしいし、いくらでもおかわりができるし、初夏には庭の小さな池で生まれた、カルガモの親子を間近に見ることもできます。ケーキもおいしいのですが、コーヒーとケーキだけで、お高めなレストランのランチくらいしてしまうので、滅多に口にできません。


キャピタル東急が、バブル絶頂期の頃、朝刊の一面を使って広告を出しているのを見たことがあります。
その内容とは、
「小柄なお客様から、今すぐ部屋に来るようにとの電話が、客室係のところにありました。客室係が行ってみると、バスタオルが大きすぎるとのクレーム。そこで、お客様のご要望を叶えることが大切だと判断した係はなんと!!鋏でバスタオルを半分に切りましたとさ。」
というエピソードです。


これを読んだ時、正直このホテルは、おばかさんではないかと思いました。何でも無条件に言う事を聞いてあげることが、サービス業じゃないでしょうに。これが広告に使うほど良いエピソードでしょうか。バスタオルを半分に切るのが上質なサービスの証、なんて言われても。


そんなわけで、ガーデンカフェ以外はいまひとつ利用しきれない場所。ちょっと時期を間違うと、政治家の懇談会待ちの、マスコミに合ってしまったりするし。


キャピタル東急ホテルは、20年くらい前はヒルトンのプロパティで、「ヒルトン東京」という名前でした。来日アーチスト御用達のホテルで、1971年と72年にここを利用した、LED ZEPPELINが、ホテルで暴れまくって、出入り禁止になったと聞きます。今でも行くたびに、
「ボンゾが刀で切りかかった柱とは?」Classic Interviews
と、キョロキョロ。なんでも、今でも跡が残っているのだとか。






                         切りかかったのは、このヒゲ面のお方

アメリカの友人

アメリカの友人



最近、映画と小説を、どちらも久しぶりに見ました。映画と小説、映画と小説、どちらを先に見るべきか、とは良く言われますが、私は小説を読んでよかったので、映画も見に行った、というパターンが多く、映画の筋のご都合主義的なとことか、心理描写の甘さにがっかりしたりします。


アメリカの友人」は、パトリシア・ハイスミスの原作と、ヴィム・ヴェンダースの映画、舞台の都市も、登場人物の国籍も違うのに、どちらの作品も面白かった。ハイスミスは、トム・リプリーを主人公に、何作か書いていますが、一番有名なのは、アランドロンが演じた「太陽がいっぱい」の原作、”The Talented Mr. Ripley”でしょうか。「アメリカの友人」の原作は”Ripley’s Game”です。


トム・リプリー役は、アラン・ドロンデニス・ホッパーマット・デイモンが演じていますが、どの俳優もハイスミスが小説に丁寧に書き込んだ、トムの孤独や内省的な面を、演技だけでみごとに表現していると思います。私が一番好きなのは、この「アメリカの友人」のデニス・ホッパー。「ブルー・ベルベット」のような、キテレツなホッパーとは違い、犯罪人なのに逡巡し、悩み、思いやりのある複雑な男をうまく演じています。


原作の舞台は、フランスのフォンテーヌブローの村ですが、映画ではハンブルク。額縁職人は、波止場が見えるアパートに、妻と息子と一緒に住んでいます。主治医の場面に必ず出てくるトンネル、アトリエのある町なかのビル、殺しを依頼される地下鉄のシーンなど、暗い灰色の陰鬱なイメージがずっと付きまといます。この映画で、ドイツ語の「RAHMEN」は、ラーメンではなく、「額縁」という意味だと知りました。


原作では、殺しを依頼する男はハンブルクに住み、自分の身が危うくなると、アムステルダムへ移ります。運河のある町が好きな男だな。殺人は、列車のトイレで行われるのですが、見て以来、ヨーロッパの列車のトイレに行く時は、いまもドキドキ。


パリの病院で骨髄の検査をするとき、スイスのベルンで医学を学んだという医者が、ツィマーマンに出身地を聞く場面があります。ツィマーマンが、スイスのチューリヒの生まれだと言うと、医者は、「チューリヒ生まれなら忍耐強いに違いない」と言いますが、これは原作にはないシーン。原作では、そもそもツィマーマンというドイツ人ではなくイギリス人という設定なんですから。これはきっと、ツィマーマンを演じるブルーノ・ガンツチューリヒ生まれな事に気を使ったに違いない。


ブルーノ・ガンツは、「アメリカの友人」の中では、口ひげを生やしていて、顎のあたりはいつもひげで青くなっている、そりゃもうイケてない外見。「ベルリン・天使の詩」や「永遠と一日」では、繊細そうな独特の雰囲気を持った中年男性なんですが、ひげがあると途端によくいるドイツ男になってしまう。最新作「ヒトラー最後の12日間」でも、もちろんヒトラーひげを生やしているらしいです。

The Age Of Plastic / The Buggles


ラジオ・スターの悲劇1980年に発表された、トレバー・ホーンジェフリー・ダウンズのユニット。1980年て・・・あーあ、25年前の記憶が鮮明な年齢になったのね。


のちにジェフがエイジアで、なんのヒネリも悲しみもない、大掛かりな産業ロックを始めたのには驚きました。この無機質な男性のメインボーカルと、1950年代っぽい女声コーラス、そして打ち込みの人工的な音は、当時中学生の私にとっては、とっても新しかった。21世紀の自分が、20世紀の自分を懐かしがっているような、不思議な気持ちで聞いていました。


大人になってから改めて聞くと、男性はイギリス英語の発音で、女性は巻き舌のアメリカ英語で歌っていて、それがアンバランスで悲しげな印象を強めています。当時MTVが台頭してきた頃で、映像と音楽が結びついた力強さには、確かにラジオでは太刀打ちできないな・・・と思いました。しかしそれから25年。ラジオはフツーに生き残ってます。スカパー!にも、ラジオだけの曲「スターデジオ」があるし、契約料も結構お高め。


むしろビデオ、というか、ビデオテープの行く末が非常に暗いのとは対照的。曲の聞かせ方としての映像ビデオも、25年たってもそうそう表現方法に、斬新な展開が見られるわけではありません。というか、全然進歩していない気が。


アルバムのタイトルは「The Age of Plastic」で、未来的なプラスチックの時代を思わせますが、実際、21世紀においては石油原料のプラスチックよりも、珪素原料のシリコーンの方が幅をきかせているしな。


思ったよりアナログに優しかった21世紀。でもこの曲が持つ、テクノロジーに飲まれることの、デジタルな悲しみは、これからさらに強まっていく気がします。

King's Cross / Pet Shop Boys


Actuallyキングスクロスの駅で、爆弾テロがありました。テロリストの卑劣さは、どんな大義も色あせて見せます。もし宇宙に生命体がいたら、こんな実りない事をいつまでもしている人類とは、金輪際近づきになりたくないだろうな。


キングズクロスの報道で一番多かったのは、
ハリー・ポッターが乗る、ホグワーツ行きの列車が出る9と4分の3番線で有名な駅」
という表現だったと思います。そのホームがあるのは、地下鉄ではなく国鉄の方ですけど。ロンドンの国鉄は、行き先によって出発駅が違い、結構面倒でした。昔、東北新幹線が上野始発だったようなもので。


キングスクロスは、英国北部に行く列車の始発駅。80年代リバプールマンチェスターなどの北部の都市は、ひどい不況に見舞われたそうです。英国は失業保険が手厚いので、すぐに路頭に迷うことはなかったようですが、職がなく未来に展望が持てない若者達が、停滞した都市から、ロンドンに職を求めて多く降り立ったそうです。


私がキングスクロスと聞いて思い浮かべたのは、ペットショップボーイズの「King's Cross」という曲。彼らも英国北部の出身なのですが、中産階級出身で、大学まで出ているので、停滞した英国北部出身というイメージはしません。ニール・テナントは社会主義を学んだおかしなミュージシャンで、歌詞の中にゲバラニーチェフィッツジェラルドにちなんだ名詞が出てくるのが面白い。


キングスクロス」の中の歌詞、
「Someone told me Monday, someone told me Saturday,Wait until tomorrow, There is still no way(月曜日に誰かが言っていたけど、土曜日にも誰かが言っていたけど、明日を待ってみても、出口はやっぱり見つからない)」。って、このフレーズ、ニーチェ永劫回帰思想っぽいしな。


この曲には、都会に住む孤独な人間のライトな絶望が滲み出ているように感じます。冬の夕暮れ時に、ひとりで東京の町を歩いているのと同じような哀しみです。今回のテロ実行犯と言われる若者達からは、こんな切羽詰った孤独は感じられません。テロリストが孤独ではない時代なのかもしれません。

真夜中のサヴァナ的な話

真夜中のサヴァナ―楽園に棲む妖しい人びと (ハヤカワ文庫NF)アメリカの小説を読んでいると、舞台である、メイン州バンゴアやハンプシャー州ハンプトン・ビーチや、ヴァージニア州リッチモンドにいるかのような気分になってくる。


以前、寮の友達の部屋で、みんなでアメリカ映画を見ていた時、
「ちょっといいかな?」
と、隣の部屋の先輩が入ってきたら、その部屋の持ち主は、
「WOW!」
と無意識のうちに答えました。どんだけ影響されやすいんだ、キミは。


アメリカの小説を数多く読んだおかげで、アメリカの地名には、何となく聞き覚えがあります。
これって、お客さんから電話を受けて、
「サヴァナに出張したいんだけど」
と言われても、
「えっ!アフリカのですか?」
と答えずに済むってことだしな。まあ、それはサバンナなんですけど。これは実話です。「真夜中のサヴァナ」という映画化された小説もあるサヴァナは、ジョージア州にある都市。


「真夜中のサヴァナ」は、ジョン・ベレント作の、不思議な雰囲気のあるノン・フィクション小説で、サヴァナに住む変人達のエピソードが面白い。車を猛スピードで運転しながら、フルメイクとマニキュアまで施す(自分で)女性の話など、携帯電話で通話しながら車を運転するのなんて、かわいく思えます。


今、下らないことを思い出しました。中三の時、隣に座っていた、当時不良少年と呼ばれた白石君と仲良しになりました。
白石君は、今思えばオヤジギャグが大得意で、
「よーよーよー、オレのサバンナにサバンナ!」
というギャグを試されたことがあります(しかも何度も)。
サバンナとは、当時イケていたであろう族車、いやスポーツ車の名前ですが。

ダメージ


ダメージ [DVD]小説の、主人公の「わたし」の最初のモノローグで、
「新聞に載った犠牲者の写真をじっと見て、生前に撮られたその写真の中に、後に悲劇に合うことの予兆や予感が感じられないものか、探してしまう」
という言葉があります。


私が最初にそういうことをしたのは、日航機が墜落した時でした。でも、私には、悲劇の予兆は彼らの中には見えなかった。何百人もの写真の中で、誰一人として、将来突然命を奪われることに気づいていそうな人はいませんでした。


これは映画の方を先に見ました、主人公役はジェレミー・アイアンズ。同じように堕落してゆくジェントルマンの役を演じた、「M.バタフライ」の印象が強過ぎるのでは、と思ったのですが、この役はまた別の彼の世界。ジェレミー・アイアンズは、目の表情だけで全てを伝えられる、私が知る唯一の俳優です。


息子のフィアンセの役にはジュリエット・ビノシュ。原作通りに、特に美人でもなく垢抜けてもいないのに、不思議な魅力をたたえた女性として描かれていました。しかし、このビノシュのスタイリングはひどくないですか。ちょっと太めの足を強調するようなスカート丈や、イカさない髪型とメイクなど、なんかこう、もうちょっとステキにできたはずなのですが。


この映画を観たとき、本を読んだ時両方で感じたことですが、人はどうして恋に落ちるのでしょうねえ。なぜこの人でなければと思うのか。恋心の80%くらいは幻想だとしても、あとの20%の不可解さに泣けてきます。

Nightfly / donald fagen


ナイトフライこのアルバム、どこからどう聞いても名曲ぞろいで、発売から20年以上経った今でも、聞くたびに何か新しい風景が見えるような気がします。まさかこの後、スティーリー・ダンが再結成されるなんて夢にも思いませんでした。


しかし相変わらずリマスタリングしてくれない。仕方ないのでDVDオーディオでも買ったら、最初に買ったレコード盤、買いなおしたCD盤、そしてDVDオーディオ盤と、計三枚もあるのですが。これでリマスタリングCDが出たら計4枚。そうなったら4台のプレーヤーで再生し、理論上サラウンドをしてみます。


彼らのライブでは、必ず前半・後半の間に休憩が入り、ロビーなどでお酒が飲めます。う〜ん大人の社交場。観客は圧倒的に会社帰りの方が多い。スティーリー・ダンのファンにはスタイリッシュな人でいて欲しいのですが、いや、そうでもないようで。って、はっっ、演奏者がスタイリッシュではないからか。


最近のCDのおまけのDVDを見ていると、ドナルド・フェイゲンウォルター・ベッカーはかなり嫌な奴ら。を、演じているのかもしれませんが、ユーモアというよりは、冷たいアイロニー


このアルバムは、60年代の夢に満ちたアメリカがモチーフ。夢に満ちた、もはや夢にしか出てこないアメリカ。それを、どこかで何かが狂った事を十分承知しているフェイゲンが歌う。


彼らの歌詞を見ていると、結構たわいない内容なのですが、なんでもないフレーズが音に乗ると、まるで重要な意味を持っているように感じるから不思議。いえ、本当に掘り下げれば、実は深い歌詞だってこともわかるのかもしれませんが、英語ネイティブではない私にとってはちんぷんかんぷん。


例えば、スティーリー・ダン時代の「Deacon Blues」では、「アラバマは、クリムゾン・タイドと呼ばれる。俺のことはディーコンブルースと呼んでくれ」って、そりゃ何ですか。これをじっくり調べると、アラバマ大学の最強フットボールチームは「クリムゾン・タイド」という仇名で、「ディーコン」は「ごまかす、イカサマ」というスラングらしい。「最強と最弱」「クリムゾンとブルー」って対比の妙らしいのですが、アメリカ人以外に理解できるかどうか。